2016年12月19日月曜日

家族について考えさせられた出来事

娘が38.5度の高熱を出した。

子供には良くあることで、普通に病院に連れて行って薬をもらって帰ってきた。

次の日の日曜日、一緒に住んでいる女の人が仕事だったので、僕が一人で娘の面倒を見ていた。

娘の熱は下がらず、食欲も無く、お昼はおかゆを少し食べただけだったけど、
まあまあ元気もあったし、それほど心配はしていなかった。

食後に熱を計ったところ、38.9度まで上がっていたので、解熱剤を飲ませた。
その後しばらくして再度熱を計ったら、37度台まで下がっていたので一安心。
娘は昼寝し始めたので、安心して家事を始めた。

しばらくすると、娘のせき込む音が。
様子を見に行くと、ベッドの上で座ったまま、ぼーっと一点を見つめている。
僕に気づいている様子もない。

良く観察すると、上半身を強張らせて、痙攣している。
呼びかけても反応がない。
1分くらいすると痙攣も収まり、「眠い」と言ってそのまままた眠りに入った。

初めての痙攣で心配になり、市の休日診療をしている施設に電話をして相談した。
「救急に連れて行った方が良いでしょうか」
電話で対応してくれた人は「とりあえず診察してから決めましょう」
とのこと。
午後の診察受付は4時半からで、今は3時半。とりあえず4時過ぎ頃に病院に向かおうと準備をした。

準備が終わって眠っている娘を見ているうちに、だんだん心配になってきて、
「子供」「高熱」「痙攣」などのワードでググっていると、

「初めて痙攣を起こした時は、救急をお勧めします」
との記事が多数ある。玉石混合のネット情報だけを鵜呑みにするわけにもいかないので、
救急相談窓口に電話をかけた。

娘の状態を伝えると窓口の人はすぐに、
「救急をお勧めしますので、119番におつなぎします」
と言われ、救急車に来てもらうことに。
実はこの時すでに娘は起きていて「お腹すいた」とか言って
意識もはっきりしていたのでピンとこなかったんだけど、
救急車の中で隊員の人に話を聞くと、
「初めての痙攣は原因がはっきりしないから、とにかく早く検査をしないといけない」
と言われた。

診察と検査の結果、アデノウイルスという溶連菌の一種に感染していることが判明。
痙攣は、急激に熱が上がったことによる熱性痙攣で、子供にはよくあることなので、
今は意識もしっかりしているからそれほど心配は無いでしょう、とのこと。

仕事が終わった一緒に住んでる女の人と合流して、帰宅。
相変わらず高熱はあるものの、何もなかったかのように元気になった娘は、
ひとしきり遊んだ後、8時過ぎには寝てしまった。

目の前で痙攣を起こしている人を見るの自体が初めてで、
しかもそれが自分の娘だったから、本当にびっくりして心配だった。

色々な緊張から解放され、一気に疲れが出てしまい、
夜の公園にタバコを吸いに出た。

一人でぼーっとしていると、
「一緒に住んでる女の人は、こんなことしょっちゅう経験してたのかな」
とか、
「世のお母さんたちは本当に偉いな」
などと色々なことを考えると同時に、
今までの自分の家族への関わり方について猛省した。

そして何より、娘の存在の大きさを再認識させられた。

色々大変だったけど、家族について改めて考えさせられる機会になった。

こんなことが起きないと、これほど大切なことにも気付けない自分て、
本当にダメな人間だと実感して、2日間くらい鬱が重くなってしまった。
とことんマイナス思考な俺。

2016年11月29日火曜日

幸せの断捨離

人間の欲望は際限がない。

子供の頃からやりたいことしかやらずに、親から「勉強しろ」なんて言われたこともなく、それでもそれなりに学校の成績は良い方だった。

大学も一朗はしたものの、第一志望の世間的にはある分野の最高学府へ行くことができて、とにかく20代前半までは好きなことだけをやり続けた。

そのせいか、幸せに対するハードルが高く設定されてしまったようです。
特に体を壊してからというもの、自分の中の「できるはず」と実際にできることに
ギャップが生まれてしまい、そこの折り合いをつけるのにとても苦労している。

全てを手に入れられる能力や努力ができる人は別だけど、僕のような凡人は、
「幸せの断捨離」
をすることがとても大切なことだと、最近気づいた。

「幸せの断捨離」というと一見何かを諦めて捨てて行くというマイナスなイメージがつきまといがちだけど、「自分にとって本当に大切なこと」を見極めて、そこに向かって全てのリソースを注ぎ込むことができるよになるような気がしています。

なかなか難しいテーマだけど、これからも幸せの断捨離を、前向きに、確実に進めていこうと思う今日この頃です。

2016年11月27日日曜日

リネージュの思い出

思えば、リネージュを始めた頃はまだ20代だった。
あんな古い2Dゲームが今でも生き残っているのは凄いことだと思う。

持ってたPCがthinkpadのx22で、外付けのブラウン管15インチモニタと、外付けキーボード・マウスで頑張ってたっけ。
アップデートに伴ってグラフィック性能が追いつかなくなり、当時家電量販店で働いていたこともあり、自作PCに初挑戦した。
確かPentium4の3.0G、250GBのHDD、1GBメモリ、グラボはGT550あたりだったっけ。

経験値を1%稼ぐのに3hくらいかかって、ひたすらレベル52を目指して、寝る間も惜しんで火山とかDVとかに篭りまくってたな。

たまにFIでペアをして、A-SCとテレコンを同時に引いて狂喜したり。

やっと52になった頃には、月額課金からアイテム課金に移行して、最短1週間でDKになってしまう
「今までの苦労はなんだったんだ」
感がすごい仕様変更が来てしまい、後から始めた学生さんたちにあっという間に追い越されて萎えそうになったものの、なんとか惰性で72まで上げたけど、その頃には72がスタートラインみたいな感じになって、リアルが忙しくなりどんどんリネからは離れていったっけ。
str35・int25のCB持ちINTナイトでそこそこ強くなったと思ったら、バランス調整でintナイトが終焉を迎えた頃、完全にリネにはログインしなくなった。

プリとしてアジトも持っていたけど、さすがにクランに人はもう残って無いだろうな。ギランのアジトはどうなったんだろ。挨拶や宣言も無しに、なんとなく辞めてしまって、クランのメンバーには迷惑をかけてしまった。

今度冷やかしでログインしてみようかな。もう遊び方もわからないから本当にログインするだけだと思うけど、昔の仲間がまだ残っているのかも気になる。

今のWinPCはそこそこのスペックで組んでいるので最新のMMOもプレイできると思うけど、家族持ちになった今では基本無料・アイテム課金のゲームにハマるほど金銭的・時間的な余裕は無いので、きっとリネが最初で最後のMMOになるんだと思う。

登録してるメアドなんだっけな。PWとか全然憶えて無いから、ログインすらできないかもしれないな。

久しぶりにリネの思い出を語ってしまった。
疲れてるのかな。