2015年5月11日月曜日

存在意義

精神系の病を患うと、自分自身も辛いけど当然周りの人にも少なからず影響を与えてしまう。

当初はなんとかお互いが良い方向に向かえるように努力するんだけど、それが長引くと徐々に疲弊してきて、関係性もギスギスしたものになる。

そもそも精神がやられる人は繊細な人が多いので、そうなるとみんなが傷ついて苦労していく状況で、自分がこの世に存在する意義について、深く考えるようになる。

その許容値を超えると、自殺などに走ってしまうんだろう。

自分の場合は幸運にもその状況に至ることが今のところ無いけど(ならないように努力しているのもあるんだろうけど)、愛する人を守ることができないばかりか傷つけてしまうことに無力感を感じてしまう。

起きる現象が精神状態に支障をきたすので精神疾患と言われるけど、実のところは脳機能の障害なので、その部分を理解して腹落ちしてくれればなんとか自分の気持ちに折り合いをつけることもできるんだけど、それを周囲に理解してもらうのも難しいし、理解してもらえたとしても感情的に受け入れてもらうのはとても難しくハードルが高い。

そんなもろもろのことを考えると、本当に自分の生きていく上での存在意義をなんとかして見つけていかないと、長くこの病気と付き合っていくことは難しいと思う。

本来、色々な情報から隔絶された状態で一定期間生活することができれば、比較的早く正常な状態に戻すこともできるらしいんだけど、やはり家庭を持ちながら仕事をして生活を続けるためには、様々な失敗を繰り返してトレーニングを重ねつつ、自分の中で存在意義を見出して折り合いをつけていくしかないと思う。

自分も傷つきたくないし、それ以上に周りも傷つけたくない。
この病気、いつか治るんだろうか。一生付き合っていかないといけないのかと考えると、本当に心が挫けそうになる。

2015年5月9日土曜日

双極性障害のこと

2007年初頭、オーバーワークで抑うつ状態になり、身近な人のアドバイスで精神科へ行った。

昔付き合っていた彼女が過食嘔吐とうつを患っていたため、一緒に精神科に付き添っていたことがあったので、それほど精神科に対する抵抗感は無かった。

自分自身の診察で、初めてドクターに言われた

「そんなに我慢しなくても良かったのに。よく頑張ったね」

という言葉で、涙が止まらなくなったのを今でも憶えている。

それから半年間の通院と休養の後、前職へ転職した。隠すのもいやなので、オープン(病歴をカミングアウトすること)で面接に臨んだ。

当時急成長中の中小の通信設備の建設会社だったからか、病歴を織り込み済みで僕の経歴を買ってくれて採用してくれた。

そこから約1年間は音楽家とサラリーマン、2足の草鞋を履き続けたが、入社2年面で職場での立場も変わり、いよいよ2足の草鞋もきつくなってきて、音楽家との結婚を期に、自分は音楽家としての活動から年に数回の頼まれ仕事以外足を洗った。

それに反して会社での仕事は苛烈さを増し、昼間は事務所での設計や資料作成、夜は現場での施工管理・現場代理人と、本当に休む間も無く働いた。

そんな生活を半年間続けたある日、仕事帰りに駅へ向かっている途中歩けなくなり道端に座り込んでしまい、1時間くらい立ち上がれなくなったため、再び前回とは違う精神科に行くことに。

希死念慮もあったため、診断は「重度のうつ状態・入院と3ヶ月の休養を要する」というものだった。

入院初日に妻が同行し主治医との面談を行った際に「躁うつ病の疑いあり」との診断を受け、薬の処方が変わった。
その判断が正しかったらしく、3ヶ月の予定が1ヶ月後には退院。

2ヶ月の自宅療養の後、復職希望の申し出を会社に対して行ったが、

「うちみたいな会社があなたのような人を雇用していくのは、リスクが大きすぎる」

と言われ、実質上の退職勧奨を受けた。

まあ事情も理解できる。そこそこの給料ももらっていたため会社の不良債権になりたくなかったし、離職するにあたってそこそこの条件も提示していただいたので、退職することを決意した。

今までの働き方を見直し、特例子会社(障害者雇用率を保つために、障害者が働く場を提供する会社)への就職を検討して、10社ほど履歴書を送ったが、当時精神障害の就業に対するハードルはとても高く、なかなか採用が決まらなかった。

最終的には3社の内定をもらえて、今の会社を選び、長いスパンでの体調の波と日内の変動とうまく付き合いながら、現在もそこそこの仕事をさせてもらっている。
特例子会社の給与水準は低く、年収こそ6割位に減ったが、この歳になってワーク・ライフ・バランスを再考できる今の環境には大変満足している。

僕の場合「双極性Ⅱ型」と言って、基本はうつが強めなのだがときどき軽躁状態が顔を出して、その後はまたうつが強めに出るという状態なので、日頃いかに平常心で生活するかが大きなポイントになってくるのだが、さすがに昨年度の年度末は忙しくなってしまい、その時は良かった(軽躁状態のため忙しさが気持ちよく感じる)のだが、期が開けて仕事が一段落した頃に、荷降ろし感からか強めのうつ状態に入ってしまった。

病歴も長くなり、会社の環境もある程度整っているので、なんとか休まずに会社に行けているけど、GW前からGW期間中、GW開けの今に至るまで約10日間、深めのうつ状態に苦しんでいる。

不眠と中途覚醒、早朝覚醒など睡眠障害のオンパレードなので、毎朝出社の決意をするために1時間位かかり、本当に辛い日々を送っている。

なかなか気持ちは晴れず、会社にいてもかなり辛いんだけど、なんとか休まずに出社して日々の仕事をこなしている。
この病気も病歴のベテランになると、うまく付き合えるようになるんだなと再実感。

この土日、うまく体を休めて、週明けからはまた元気に仕事ができるようになることを、ひたすら願っている。

鬱や躁鬱などの精神疾患を持ちながらオープンで就職活動を行う人には、特例子会社の検討をおすすめしたい。病状が比較的落ち着いていてそこそこの職歴があれば、比較的門戸は広く開かれていると思う。

給料は間違いなく下がるし、仕事の質もがらっと変わるため、いろいろな葛藤に苦しむかもしれないけど、きっと、お金以外にも大切な何かがあるということに気づくことができることでしょう。悩んだ数だけ、色々なことに気づくことができるようになります。

僕と同じ様な症状で苦しんでいる人も、まずはゆっくり休んで体調を安定させることさえできれば、働ける場は意外と多いので、希望を捨てずに頑張って欲しいと思う今日このごろです。

2015年4月19日日曜日

睡眠障害

私は約8年前に鬱病を発病し(今は躁うつ病に診断が変わっている)、今は比較的安定していて会社勤めもしています。

通院を続けていて薬でうまく調整できているので、メンタルの落ち込みはあまり無いのですが、仕事が忙しくなると過緊張状態になり、入眠障害・中途覚醒・早朝覚醒など、睡眠障害のオンパレードになります。

睡眠障害自体は慣れっこなので、それでメンタルに影響をおよぼすことは無くなったのですが、体の方はそうはいきません。どうしても疲れが溜まっていきます。
過緊張状態が続いているときは脳が正常に働かないので疲労感も感じないのですが、ちょっとその状態から開放されると一気に体に跳ね返ってきて、大変重い疲労感や倦怠感に襲われます。

そうなると朝ベッドから起き上がるのもきつくなり、出社も定時ぎりぎりになります。
一日中体が重く、特に午前中は調子が悪くなります。
たちが悪いことに、夕方になると元気になってしまい、ついつい仕事もやり過ぎてしまいます。そうすると夜に向けて交感神経優位になり、また眠りがうまくいかなくなる。。。
という悪循環に陥るわけです。

ドクターにこの疲労感に相談したところ、
「仕事をすれば疲れるのはあたりまえ。むしろ体が正常に反応しているだけなので、状態としては悪くは無い。ただ眠りがうまくいかないと身体症状が色々と出てきてしまうので、そこだけはなんとかしていかないとね」
と言われました。

「仕事をすれば疲れるのは当たり前」なんて、昔の自分からは考えられませんでした。よく同僚が「疲れた〜。やっと金曜日だな〜。」なんて言っているのを聞いて、自分には無い感覚なのでその感じを理解するのに時間がかかりましたが、最近やっと自分もそれを感じるようになりました。そういう意味では、正常な状態に近づきつつあるのかもしれません。

2015年3月15日日曜日

ホワイトデー終了 来年が憂鬱です。

ホワイトデーが終わった。

14日が土曜日ということもあり、会社の人には13日の金曜日に、バレンタインでいただいたチョコのお返しを何件かした。

会社で渡せなかった人には、13日の晩に宅急便で送った。

自分としては大変な労力と時間とお金を使って行っている行為なのだが、大人としていただいた物に対するお返しをしないのもアレだと思うので、仕方なくやっている。
きっと大多数の男性がそう感じているのと同じであるように、経済活動にただただ協力しているだけ。

バレンタインにチョコをくれる女性は、どうなんだろう。
結構な経済的負担とそれを準備するための時間や手間がかかってるんだから、正直面倒臭い風習だと思っている人も相当数いるんだろうなと想像する。
しかも最近では「友チョコ」なるものがあって、うちの一緒に住んでる女の人なんかは、ママ友や娘の友だち達とやりとりをするので大変頭を悩ませている。

もちろん一部の「趣味がお菓子作り」だとか「人にプレゼントするのが好き」という人、それから本気で気になる相手の気を引くために特別なプレゼントを送る人がいるのは知っているんだけど、それ以外の大多数の人にとっては負担でしかないんじゃないんだろうか。

「贈るのが当たり前」になってしまうと、「贈らない人は冷たい人」ってことになってしまって、標準的な感覚を持っている人だったらそのラインからはなかなか抜け出せないんだろうなと、少し可愛そうになる。

きっとこの手の風習は、法律で「バレンタインに何か物をプレゼントするのは禁止!」とかにしないと無くならないんだろうけど、そんな法律は社会主義の国でもできないだろうから、せめて会社や教育機関内では「バレンタイン(に関わらず)に虚礼に基づく贈答物のやりとりは禁止」くらいのことやってくれても良い気がする。
本当に意中の相手に対してだけプレゼントするのであれば社外でやれば良いし。
それ以外の人たちは、「バレンタインはめでたい日だから、この日くらいはパーッとお金を使って楽しみましょう」みたいな感じにしてくれたほうが、経済的にも潤うし、異業種間での競争も起きて楽しいことになるんじゃないかと思ったりする。

しかも13日はうちの一緒に住んでる女の人の誕生日でもある。
ホワイトデーのお返しと誕生日プレゼントを一緒に渡したら(今年は言われなかったけど)、「なんか損した気分」なんて言われるし。
この負のスパイラルはなんだ。

きゃりーぱみゅぱみゅさんあたりが、
「もうバレンタインなんて無いよね」
とか言ってくれたら、少しはこの状況も変わるんだろうか。

2015年2月23日月曜日

あの時僕は若かった

思えば、ただただ力任せに過ごしてきた10代〜30代前半だった。

夢と恋愛を追いかけて、ドロップアウトしかけた高校時代。

自己実現だけを追求して、がむしゃらに頑張った大学生時代。

そして夢と安定の両方を手に入れようとして、ついにはぶっ壊れてしまった。

いくら若かったとは言え、4年間で休みが8日しか無かったら、そりゃあぶっ壊れもするなと、今思い起こすと微笑ましくもなる。

おっさんになり家族もできて粛々と生活している、なんて書くと、本当に夢のない話に聞こえるけど、

「どんな生活をしていても、その時その時で夢や希望ってもてるもんなんだよ」

と、あの時の自分を諌めたい。

通り過ぎた時間は取り戻せないけど、失敗の数だけ今の、そして未来の自分には幸せが訪れるんだと、自信を持って言える。

「あの時僕は若かった」

素晴らしい失敗と挫折を味あわせてくれた全てのことに、「ありがとう」の言葉を贈ろうと思う。

2015年2月20日金曜日

仲間たちが

周りの仲間達が、次々と体調を崩している。

なんとかしてやりたいけど、何も手出しできない自分への無力感・いらだち。

せめて自分だけでも保とう、吸収できる負荷は吸収していこうと思うと、体力的にも精神的にもきつくなるのを感じる。

本心を誰かに吐露しようにも、うまく伝えられる自信が無い。

家族ですらなかなか理解できないことを、赤の他人に理解してもらえるのか。

唯一無二の理解者とは、今は違う部署になってしまった。

猜疑心の塊。人を信用するのが極端に苦手。

善人だけど、自分の正義は絶対だと信じて疑わない上司。

状況を打破する糸口さえ見えない、暗い洞窟の中を彷徨っている。